津波

明治三陸地震津波

今から116年前
1896年(明治29年)6月15日 三陸沖にマグニチュード7.6の地震が発生
震源が陸地から200キロ離れていたため地震による直接の被害は生じなかった。
しかし その約35分後午後8時30分頃に大津波が三陸海岸を襲った
波の高さは陸中海岸南部の吉浜で24m 綾里で38.2m 死者・行方不明者は2万7122人 流失・全半壊戸数1万390戸 流失船舶数7000隻 という津波における最大のものになった。
特に 岩手県下閉伊郡山田町の大沢では 総戸数199戸のうち193戸が流失し
人口1036人のうち416人が死亡するという壊滅的被害をうけた。
この津波は ハワイやカリフォルニアにまで達し 被害規模から 地震規模は
マグニチュード8.5に相当するという。
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上の写真は それを証明するもので 
新井高校陸上部の平井先生の自宅(旧 越後国中頸城郡大崎村・・現在 妙高市石塚町)
から最近になって見つかったとのこと。
平井先生の先祖にあたる平井栄蔵さんが 津波で被害をうけた青森県に義援金を送り
 岩手県 宮城県 青森県の知事からのいただいた礼状のよう。
海嘯とは 津波のことで 昔は津波のことを海嘯(カイショウ)と言っていたのがわかる。
救恤は 救出(キュウシツ)と同じ
2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生したとき地震の規模はマグニチュード 9.0 最大震度は7で、震災による死者・行方不明者は約19,000人、建築物の全壊・半壊39万戸以上 被害船舶数約2万3000隻以上 この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る大津波が発生した 明治三陸地震は 死者・行方不明者が 東日本大震災を約8000人も上回るということは 津波のこわさがわかる。
116年前のこと・・・生きている人いないものね この時期にこれが 見つかったというのに 意味があるのかな?。 災害は 忘れたころのやってくると・・・。

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